「子ども以上、大人未満」という響きは甘酸っぱく瑞々しいけれど、ケアや支援が及ばず、かつ大人としての権利行使を阻害された思春期は、隙間の時代だ。大人によって都合よく大人扱いされ、また都合よく子ども扱いもされる。
3,4歳の子どもが死について考えていることを、森崎和江(日本の詩人、ノンフィクション作家)が述べている。感動的な事実なので他にも引用したが、ここでもまた取り上げることにしたい。
大人が子どもの魂に到る「通路」を知りたい、と思うとき、焦るのが一番禁物である。その子を暖かい目で見守っていると、魂の方から通路が開けてくる。
親からみると、子どもの考えていること、していることがまったく不可解に見え、学校の成績が急に悪くなってきたり、よく話をしてきた子が極端に無口になってしまったりする。
人間はどれほど恵まれた環境にあっても、疎外感や孤独感を体験しなくてはならぬときがあるようだ。それは、人間存在に必然的にそなわっているものと言っていいのだろう。
子どもが自立してゆくためには、母から分離してゆかねばならない。母子分離ということは、子どもにとっても母親にとっても、なかなか難しいことであり、不登校の場合
おそらく、人間というものは真に心の成熟を遂げるためには、一般に否定的な評価を受けている、憎しみ、怒り、悲しみ、などの感情を体験することも必要なのであろう。
この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。
クライエントの多くは深刻な苦悩から逃れようとして、あるいは、思慕を抱く魂のそばに行こうとして死を願い
無意識とは悪魔のような怪物ではなく、モラル的にも、美的にも、知的にも中立的な自然の性質です。それが本当に危険なものになるのは