治療構造論は公式の設定を基本としつつも、個々のクライアントの事情に合わせて柔軟にそれらを変化させ、最適な心理療法を提供することを求める。
患者のなかには、良くなりたくないという願望が実際に存在しているが、この願望はそれ自体が部分的に防衛の性質をもっている。
治療者と患者の生きる社会が同じものである保証はどこにもない。ゆえに、治療者が理想的であると想定する治癒像が、患者の生きる社会においてもそうである保証もどこにもない。
「子ども以上、大人未満」という響きは甘酸っぱく瑞々しいけれど、ケアや支援が及ばず、かつ大人としての権利行使を阻害された思春期は、隙間の時代だ。大人によって都合よく大人扱いされ、また都合よく子ども扱いもされる。
解釈というものがありますが、答えとしての、無意識の理解としての解釈をしすぎるのではなくて、むしろ、無意識を理解するための問いとしての解釈をどうできるかが、ビオンその後期に治療者の機能として考えていたことなのではないかと思います。
今はどこの家も鉄のドアに替えてしまう
わしの造ったドアがどこか悪かったのかね
それなら何故皆が買ってくれたんだろう?
すべて、というのは--
厚かましく、うぬぼれで膨れ上がった言葉だ。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
3,4歳の子どもが死について考えていることを、森崎和江(日本の詩人、ノンフィクション作家)が述べている。感動的な事実なので他にも引用したが、ここでもまた取り上げることにしたい。