「子ども以上、大人未満」という響きは甘酸っぱく瑞々しいけれど、ケアや支援が及ばず、かつ大人としての権利行使を阻害された思春期は、隙間の時代だ。大人によって都合よく大人扱いされ、また都合よく子ども扱いもされる。その隙間が子どもたちを振り回し抑圧する。そして振り回され困惑し混乱する彼らのこころの揺れは、思春期というラベルで「こころの問題」に矮小化されてしまう。
心理的な発達段階としての「思春期」が発見された時代から、「女の子」を取り巻く生きづらさは、さほど変化していないと思われる。相変わらず用紙でジャッジされ、性的に客体化され、「らしさ」を押しつけられ、機械を奪われている。それでも、それらの生きづらさは社会的な問題として可視化されるようにはなった。女の子・男の子という違いも多様化している。子どもとは何か、大人とは何か、女とは何か、男とは何か。「思春期」の説明において、それぞれ重要なファクターだ。子ども(未成年)を抑圧する社会構造が可視化され、そしてジェンダー感が変化の過渡期にある今、思春期というカテゴライズはいったい誰に必要とされ、そして誰を幸せにするのだろうか。(p.53)