子どもが自立してゆくためには、母から分離してゆかねばならない。母子分離ということは、子どもにとっても母親にとっても、なかなか難しいことであり、不登校の場合、母子分離の問題が関わってくることが多いのは、よく指摘されているところである。そこに母親が悪いという断定が出てくるのであるが、ことはそれほど簡単ではない。母親にも子どもにも、それぞれの個性と歴史があるし、それらにかかわる父親の在り方も重要になってくる。その中の何かひとつをとりあげて、これが「原因」などとはきめつけられないのである。…(中略)…自立ということは難しいことで、それまでには相当な一体感を味わっていなくてはならない。それが不足すると、どうしても分離するときに心残りがして自立に失敗してしまう。さりとて、あまりにも一体感の中に埋没してしまっていると、自立する力が弱くなることは容易に推察されるであろう。それと、よく誤解されることだが、母親から自立することは、母親と関係がなくなることだと思っている人がある。そんな馬鹿なことはなくて、母親から自立した人間は、自立した人間として、人間対人間の関係を母親ともてるはずである。何の関係もないのは孤立であって自立ではない。自立することは、母親と無関係になることではなく、母親と新しい関係をつくることである。このように考えると、自立などということは一挙に達成されるものではなく、だんだんと段階を経て、それにふさわしい自立の在り方をまさぐってゆくのだ、と考える方がよさそうである。(pp.80-1)
自立することは、言ってみれば淋しいことであり悲しいことである。こんなときに、自立の「よい」面にのみ心を奪われ、それを裏打ちする淋しさや悲しさの感情に、本人も本人を取りまく大人たちもすべてが気づかないとき、そのことによって、せっかくうまくゆきかけたことが逆転してしまったりすることがある。(p.82)