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怏と快(吉野, 1999)

 「怏」の中に「快」がある

 「怏」は、心楽しまぬこと

 「快」は、心楽しむこと

 人の生涯を通じ

 心楽しまぬことの総量が

 心楽しむことの総量を超えているということか

 あるいは

 「快」が味わう以上のものを

 「怏」が味わうということか、たとえば

 幸福が知る多様な甘味の他に辛苦の滋味をも

 不幸が知っているのに似て--

 「怏」に不本意な思いがないわけではない

 己の屋台骨の大部分が「快」なのに

 なぜか、心楽しくないのだ

 その道理は多分……と「快」は思う

 快自身が移ろいやすく保ち難いもの

 微量の不快にもあえなく崩され

 今日中はおしなべて索漠

 つまりは「怏」が胸の中の怏なのだと(pp.187-9)